老子との出会い

 私が初めて老子道徳経と出会ったときの感情とそれ以降の自分の在り方が、見事にウィルバーの自伝と重なるため、ここに記しておきたい。それまでの私は、学歴、世間体、過去の功績、そのようなことを重視する人間で、上っ面の自分しか見えていなかったし認めてもいなかった。ある日を境に私は変わりはじめた。老子の言葉に打たれ、真実に目覚めはじめ、人生の全面的方向転換をせざるをえなくなったのである。


 老子『 道徳経 』第 1 章を読んで立ち尽くしていたとき、私はまるで生まれて初めて、まったく新しく根本的に異なった世界——感覚的なものを超えた世界、科学の外にあり、したがって私自身をもまったく超えた世界にさらされているかのようだった。その結果、それらの古代の老子の言葉が私を心底おどろきで捉えてしまった。さらに悪いことに、おどろきは去ろうとはせず、私の世界の見え方はすっかり、微妙にではあるが根本的に変わりはじめていた。

 ほんの2、3カ月——それは道教と仏教の入門書を読むことに費やされたのだが——の間に、以前にはわかっていたつもりの自分の人生の意味が、あっさりと消えはじめた。ああ、それは劇的でもなんでもなかった。むしろ、20 年の結婚生活の後で、ある朝、目が覚めてみると、 “突然” 自分の配偶者をもう愛して(あるいは認めてさえ)いないことに気づいたようなものだ。

 動揺も、つらさも、涙もなく、ただ別れのときが来たのだという無言の認識があった。まさにそんなふうに、その老賢者が私の心の琴糸(そしてそれは 20 年もの抑圧のためにいっそう強くなっていた)にきわめて深く触れ、私は突然に、自分の古い人生、古い自己、古い信念はもはや力を注がれることはありえないという、沈黙のうちの、しかし確かな認識に至った。別れのときであった。(ケン・ウィルバー)

 

mukayu

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

7 − two =