父との別れ

2017年3月10日8時41分、父、死去。67歳。

 昨年12月29日の朝、母から電話がありました。電話の向こうの母の口調は落ち着いてはいたものの、しくしくと涙を啜る音が聞こえ——父に、重度の胃ガンが発覚した旨の連絡でありました。そのとき私はちょうど東京都内でヨガ療法士の合宿の最終日だったのですが、その日は頭のなかが混乱状態に陥り、全く以て身に入らなかったことを覚えています。

JAの理事として講演をする父
JAの理事として講演をする父

 

 年始に入り母が勤めていた病院に即入院しましたが、骨転移し、それが猛スピードで全身に広がり、助からぬ身となってしまいました。あらためて、リンパ、血液、骨、各組織への流出を食い止められなかったガンの脅威を痛感した次第です。

父はいつでもどこでも本を読んでいた
父はいつでもどこでも本を読んでいた

 

 西洋医学に身を委ねながらも、ケトン体、ゲルソン、ナチュラルハイジーン、チャコール、高濃度ビタミンC点滴、そして抗がん剤の効力を落とすことなく副作用を緩和するための水素水など、あまねく代替療法を施し、「絶対に、あきらめない!」という想いで、家族総出で日夜付き添って参りましたが、残念ながらその甲斐もなく、今日に至りました。無念でなりません。

命を賭けた水素水生成器マリアージュ
命を賭けた水素水生成器マリアージュ

 

命を賭けた水素水生成器マリアージュ
命を賭けた水素水生成器マリアージュ

 

 父と母は大学時代に出会いました。大学のグラウンドを走る父と、それを見ていた看護学生の母が、恋に落ち、結ばれました。デートの時は必ず一輪の花を母に贈ったといいます。闘病中、意識が遠のく中、父が私に言いました。「ボクが一番そばに居てほしいのは、お母さんなんだよ。だって、ボクが探してきた人なんだから…」それを聴いた母は泣き崩れました。

わたくしを抱く、父と母
わたくしを抱く、父と母

 

 父は、服は持たず、本を買う人間でした。文学を愛し、自然を愛し、田畑を耕し、感動を撮り、活字を読む日々。療養中、片目が見えなくなっても、本を読んでいました。父は、自身の生死に対するあらゆる考えや恐れを凌駕する静謐ないとなみを、本を通して自分のものとしていたのだと思います。

写真を撮り、絵を描く 感性豊かな父だった
写真を撮り、絵を描く 感性豊かな父だった

 

漢詩を愛した父 最後の手記
漢詩を愛した父 最後の手記

 

漢詩の要約1
漢詩の要約1

 

漢詩の要約2
漢詩の要約2

 

父が最後に選んだ本 抱きしめて離さなかった
父が最後に選んだ本 抱きしめて離さなかった

 

死ぬ一週間前、自分の痛いところを図に表して伝えてくれた
死ぬ一週間前、自分の痛いところを図に表して伝えてくれた

 

限界まで書き続けた父の手記
限界まで書き続けた父の手記

 

 父の死を通して、哀しみと同時に学びも多く、失うことで得るものもあることを知りました。宗教的な概念の違い、自分の仕事の中身を精査することにも繋がり(例えば、予防のためのアドバイスと末期ガン患者へのアドバイスは全く異なること。いくら健康に関する多くの知識を持ち合わせていても、実践できることとできないことがあること)、死後のこと(例えば禁忌事項ややるべきこと)など、未知の世界を垣間見ました。人は頭で分かった気になっていてもいけない。経験しなければ自分のものにはならないということも。

 父が守ってきたものの偉大さや、親族の故郷への想い、自分が置かれた立場など、深く考えさせられました。うちの一族は天保時代にはすでに存在していたこともあり、それを継承してゆかなければならないという責任の重さも痛感しています。

 父は本当にわたしの唯一の理解者で、たとえ人が反対しても何度失敗しても応援してくれたし、いつも励ましてくれました。思想も同じ系統を愛し、そのことを共有して生きてきました。葬儀が終わり、一段落して、父を失ったことへの哀しみの深さを思い知る、今この瞬間に、この涙も感情もすべて、必要ないとなみなのだと痛感いたします。

付き添う私たち(右は妹)
付き添う私たち(右は妹)

 

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