永遠は絶対の今。

写真は今この瞬間を撮る。
太陽の光が物質を当ててできる影は
形も長さもすべて
1分1秒足りとも
同じものは存在しない。
今この瞬間の意識も何もかもがそう。

 

 

時とは、
即今(そっこん)
Instant(インスタント)
ただ今、今、今。
それだけが真実
本当の姿。

過去、未来、現在…
時という概念はなく
本当の無限の中に入れば
すべてそういうものは無くなる。
なくなれば、
未来もなくなる。

今日かぎり、
これかぎり、
今かぎり、という
自覚、直覚、直観。

瞬間が永遠。
永遠は絶対の今。

 

***以下、「時間と永遠」/仏教学者・鈴木大拙より***

 時間というは刻々に移りゆくもの、しかしこの移りゆくということのほかに時間はないのである。時間という言葉は、概念的で、抽象的で、それに対する実体はない。実体はただ移りゆくということ、そのほかには何もない。移りゆくということも、事実の上でいい得ることか、それもわからぬ。移るというと、何か移るものがあるように考える。しかしそんなものがあるとすれば、それは何か、その実体を捉えるわけにゆかぬ。

 人間の考えというものは、二つのものが相対していないと出てこないのである。一つだけだと、何も考えるなどということはない。すなわち移るということと、移らぬということ、いいかえれば、永遠と転移との二つを対照させて、はじめて刻刻に移る時間と、少しも変わらぬ永遠とが考えられる。

 最後の解決は、瞬間が永遠で、生と死そのものが涅槃(ねはん;仏教において、煩悩を滅尽して悟りの智慧(菩提)を完成した境地のこと。涅槃は、生死を超えた悟りの世界であり、仏教の究極的な実践目的とされる)で、この世がそのままで楽土であるということでなくてはならぬ。移りゆく時間、そのほかに永遠はない。永遠は絶対の今である。

 Time keeps on changing and it does not exist in any other way than to keep on changing. The word‘time’is conceptual and abstract. It has no substance. It does nothing but to simply keep on changing. Whether time changes continuously is a fact or not is also uncertain. When one says it changes, it is thought that there is something which changes. However, If there is such a thing, it is impossible to grasp what‘it’is.

 Human thoughts only come about when there are two opposing things. If there is just one thing, thought does not arise. In other words, when you place change in opposition with something fixed, or eternity with transition, it is possible to consider ever-changing time along with eternity, which does not change one bit.

 In the end, it must be that a moment is eternity, and life and death themselves are Nirvana, and this life itself is paradise. Eternity does not exist anywhere but in shifting time. Eternity is absolute now.

Excerpts from Time and Eternity by D.T. Suzuki

***

 

Carpe Diem (カルペ・ディエム)
今 こ の 瞬 間 を 生 き る 。

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