ローヴィーガンを生きるとは①

 

 今朝目が覚めた時、あの頃のことを思い出していた。ヴィーガンになった時の自分である。記憶をたどり、涙が頬をつたうのを感じた──。

 いま私は片手で文字を打っている。片方の手では乳を飲む娘を抱えている。日中パソコンに向かうとたいていこの状態になるため、集中できるのは娘の就寝後となる。しかし苦痛ではない。自分の命よりも尊いひとつの生命を授かり、今この瞬間をともに生きられるのですから。

 私は結婚して 10 年経っても子に恵まれなかった。友人から届く年賀状でわが子の写真を送られてきた時の複雑な気持ちや休日ホームセンターで見る親子連れに嫉妬した時期もある。心から子どもが欲しいと願った。だから、いま子に恵まれずに苦しんでおられる方の気持ちも痛切に理解できる。

 子が欲しいと切に願い、できた後の歓喜や生き方を書き続けた数か月後、私は念願の妊婦となった。その時点ではすでにベジタリアンであったが、ヨーグルトとチーズだけはやめられなかった。妊娠中のカルシウムはそれらでまかなうべきであるという誤信がまだ抜けきれていない時期の自分である。

 人には必ず変わるきっかけというものがある。たいていの場合、自身や身内の発病、女性は妊娠や出産・育児がきっかけになることが多い。それは自分以外のかけがえのない命が自分のなかに在るのだという、たしかな感覚、無条件の愛、ただ無性に守りたいのだという母性から必然的に生まれ得るものではないかと思う。

 かくいう私も妊娠中に多くの本を読み漁り、ネットでリサーチしまくり、真実を知り、ヴィーガンになった人間のひとりである。現実を知れば知るほど恐怖に襲われ、この世界の何もかもが信じられなくなったことを覚えている。虫も動物も人間もみな等しく、生命とは、生きるために命を与えられるはずなのに、なぜ人間だけがこのような残酷な歴史を作り上げてしまったのか。

 

 

 この世界の仕組みと動物虐待の真実を知ったその時から、私はヴィーガンになった。移行期などない。一瞬にしてだ。本当に目覚めた時、人は一瞬にして変わる。この感覚、感情抜きには語れない経緯を、書いておきたいと思い、今パソコンに向かっている。それはなぜかと言うと、本気でローヴィーガンを生きているからだ。

 待望のわが子を出産し、無添加生活、完全母乳、おむつなし育児など自然育児で育て、里山保育園に預けて大自然のなか理想の育児を果たした愛しいわが子には、もう会えない。今は小学校に通い普通の子と同じように給食を食べて、家でも肉や牛乳を摂り冷凍食品も食べているだろう。ただ、彼女の一生のなかで、最も貴重なかけがえのない時期をともに生きられたこと、そのとき全身全霊で向き合い愛を注いで生きたことは、私にとっての財産である。

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